カイゴのシゴト

副業でも介護士は疲れる。心が弱い介護士とありがとうを言わない認知症の婆さん。

投稿日:2018年1月16日 更新日:

みんなで作るひとつのハート

たとえ週に一度、副業で勤務しているだけの職場でも、介護士という仕事をしていると、どうしようもないくらいに疲れるときがあります。

心が折れそうになり、やるせなさでいっぱいになってくるのです。

 

「ありがとう。」と言わない婆さん。

私が勤務しているグループホームでの出来事。認知症のお婆さんの相手をしていて思ったんです。

「九十年かけて出来上がったのがこの姿では悲しい。」って。

例えば、深夜1時に「何も食べてない!腹が減って寝れへん!」と言われて、介護士はせっせと夜中に、夜食を作って提供します。それに対して、

「そうやってさっさと出したらええねん。」という言葉が返ってくる。

婆さんの悪態について職員同士で話していると、中には「認知症だから仕方ないよね。」で済ませられる職員もいるんですね。

だけど私は、どうしてもそう思うことができませんでした。

なぜ、「ありがとう。」というありふれた言葉をあえて除外し、人を不愉快にする言葉をわざわざチョイスするのか。それを考えはじめると私の頭はいっぱいいっぱいに。

「ありがとう。」を言い慣れていないからだろうか。

人に何かをしてもらった時に「ありがとう。」と言っていれば、無意識に「ありがとう。」と言ってしまうはずなんです。心が伴っていなくても。

そういう習慣化された言動に、介護士の私はボケてしまう前の姿を垣間見ます。

婆さんがボケる前の姿が少し見えた私は、苛立ちを抑えられませんでした。

別に「ありがとう。」なんて言わなくていいし、ただ嬉しそうに食べてくれればそれでいい。なんなら嬉しそうじゃなくても、文句を言わずに黙って食べてくれればいい。

介護士だから知っていること。

  • 目の前にいる私が誰かわからなくても「ありがとう。」と言える(思える)。
  • 目の前にいる私が介護士であり、自分が利用者だと理解できる人は「ありがとう。」と言える(思える)。
  • 重度の脳機能障害のせいで「ありがとう。」という感謝の気持ち及び全ての感情が存在しない人はいる。

婆さんは、ありがとうと言えないのではなく、何か理由があって「ありがとう。」を言わなかった。

「ありがとう。」を言わない婆さんは、感謝する気持ちにならなかったのか、「ありがとう。」という言葉が頭には浮かんでいたけれど、あえて使わなかったのかどちらか。

普通なら「ありがとう。」を言うタイミング。それを知っていたから発せられた、「さっさと出したらええねん。」という婆さんの言葉の意味。ずっと考えていました。

婆さん本人は無意識だろうけど。

そんな些細なことで無駄に消耗していました。

 

「ありがとう。」の一言なかっただけで、そんな言われるのかと思われるかもしれませんが、これは積もりに積もった結果ですのでご了承ください。

 

心が弱い中年介護士。

HSP(Highly Sensitive Person・ハイリーセンシティブパーソン)と言われる人に、私は分類されるのかもしれません。

誰かが心優しい行いをしているのを知ると単純に「この世界はなんて良い世界なんだろう。」と私自身も優しい気持ちになれるので、自然とそういうものに囲まれて生活ができるように行動してしまいます。

思春期の少年ならまだしも、良い年したおっさんが繊細だなんて、恥ずかしくて情けなくなります。

調子のいいときはそんな自分も好きなんですが、調子が悪いとほんと辛いです。

人を不愉快にしようとする魂胆を感じさせるもの、何か裏を感じとってしまうものを、生活から消してしまいたくなるのです。

例えば、文字であれば「すんなり文字の意味が入ってくるもの」と「なぜそこにその文字が記されているかを考えてしまうもの」に分けられるのです。

会話でも同じように、「言っている内容がそのまま頭に入ってくるもの」と「なぜこの人はこの場所でこの内容を話しているのだろうと考えてしまうもの」に分かれます。

なぜ考えてしまうのかわかりませんが、納得するまで考えてしまいます。

パートナーと時々喧嘩をするのですが、パートナーの気持ちを私が代弁すると「それは想像やろ?」ってよく怒られます。

私の中では理屈が通っているから言うのですが、本人に「それは想像!」と言い返されたら何も言えなくなります。

婆さんにしても、私が感じ取ったものが正しいという自信はないので、頭の中で婆さんを責めたり、自分を責めたり。

怒りを鎮めようとするのに、自分の心が擦り減るほど、あれやこれやと考えてしまいます。

 

あなたはどんなハートの持ち主?

自分の心(ハート)の特徴をどう説明しようか考えていたら、思い浮かびました。

  1. 死ぬほど痛いのに傷まみれになっても動き続けるハート。
  2. 少しの傷で安全回路が働いてしまう、壊れやすいハート。
  3. 痛みに鈍感なハート。

多くの人が①の範疇ではないでしょうか。私も①です。

①のハートは傷がつきやすく、ストレスを感じやすく貯めやすい。傷まみれで「もう限界!」って状態でも動き続け機能します。

②は、少しの傷で正常に動かなくなってしまうタイプ。体質でストレスへの耐性が低く、精神疾患レベルの体調不良が表れてしまったりします。性格が明るくて頭もいい統合失調症の仕事仲間に出会ったことで、精神疾患は体質に依るものが大きいことを知りました。

③は、ハートの表面は傷がつきにくいが、ハートの中身にダメージを負っているのを後で気づいたり気付かなかったり。ストレスの自覚はないのに、お腹を下してしまうというようなタイプ。

おそらく婆さんはボケる前から③。自分の心の痛みがわからないから、他人の心の痛みにも鈍感。

 

介護士だって人間だもの。

婆さんには「認知症だから仕方ないよね。」って聞き流してあげられる介護士が合っていたのでしょうが、中途半端にボケた真似する婆さんを受け止めて自分を犠牲にし続けることは私には無理。

拘りが強いとか、じっとしていられないとか、空気読めないとか、障害か個性なのか良くわからない人なんてめちゃめちゃ多いように感じる昨今。

学校や社会では、みんなが同じ形にはまるように教えられますが、実際のところ、生き辛さを感じている人は凸凹したままでも良い状態でいられる相手のそばで、人並みに仕事して結婚して、普通の人として暮らしているように思います。

ひとりひとりの個性を理解するだけでも難しい世の中に、意図して人の気分を害するような言動は不要。

互いが気持ちよく過ごすには、相手を思いやることが必要で、相手を思いやれない理由に、高齢なのも認知症も関係ありません。

「高齢者には認知症でも敬意をもって接しましょう。」って、あれは嫌い。

私だってできるのであれば、心から尊敬できる人のそばにいたい。

 

バイバイ婆さん。

最終的に、婆さんは他の入居者に暴力をふるって、年始早々退去となりました。

婆さんは本当に損していると思う。

部屋で一人になりたくないからと、介護士のいる場所へ出てきては、介護士のそばで暴言を吐き続ける。人と居たい気持ちはわかるけど、受け止められないので介護士は距離を置く。すると婆さんの気持ちが満たされることはなく余計に攻撃的になってしまった。

力になれなくて申し訳ないとも思うけれど、考えるのはもうこれでお終いです。

 

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